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...23

半年間で一通りの知識を得た私は、対戦相手を求めていた。ランクマッチには人が溢れていたが、ランクを競うだけだと、それに拘ってしまう人もいて、満足いくまで対戦が出来ない事も多い。私は、ランクやその場の勝ち負けに一喜一憂はしなかった。なにせ、自分が闘おうとしている相手は、遥か彼方に居るのだ。

目標が高過ぎるのは、わかっていた。

どれだけ努力すれば彼と対等に闘えるのか。そもそも、そんな事が可能なのか。毎日、そんな事を考えた。
坂本にはまだ、この考えは伝えていない。いや、伝えられないと思った。

だが、私は充実していた。惰性でしかなかった仕事まで、なぜかやる気を出したりしていた。不思議なものだ。


対戦相手を探すため、坂本の奨めもあって、今までアカウントを作っただけで放置していたSNSを利用する事にした。

そうして情報を発信していくと、何かしらの反応があったりする。
ポジティブなものばかりではなく、戸惑いもあったが、自分にとっては新鮮な感覚だった。ただ、情報が多すぎて、ちょっとうるさい感じはする。それは、仕方がないだろう。

ある時、最近よく対戦してくれている人が、私の名前を出して感想を呟いたのだが、それに気になる反応があったのを見た。

「その人、昔新宿に居た人だよね。知ってるよ」

私は偶然その会話を見て驚き、その人とコンタクトを取ってみた。あの頃の自分を知っていてくれた人が居る事が、何故かとても嬉しかったのだ。

すると、返信が帰ってきた。私の事は何度か新宿で見た事があって覚えていてくれたそうだ。私はその人の事をネットで調べてみた。私がいなかった間もやり続けている、古豪と言っていいプレイヤーのようだ。是非一度対戦でもお願いしますと返信した。


そうして、ある夜にそのプレイヤーとオンライン対戦をする事になった。

彼の名は瀧田と言った。

メッセージなどの対応はとても温厚だが、対戦に負けるととても悔しそうなコメントをしてくるのが印象的だ。そして、強い。明らかに私よりも実力が上だった。少し勝っても、すぐに対応されてしまう。私は、彼との対戦が楽しく、毎晩のように対戦をするようになっていった。

驚いた事に、SNSで発信していると、何処からともなく昔の仲間たちが集まってきてくれた。当時は若かった連中も良い歳になっているが、格闘ゲームはやめられないらしい。私の配信は、何か同窓会のような雰囲気になっていた。聞いてもいないのに、熱心に知識を教えてくれる奴もいた。長年離れていた私には、とても有難い事だった。


そうして充実した日々を過ごしていた私に、ある日、知らないアカウントからメッセージが届いた。私はそのメッセージを開くと、束の間硬直した。自分が動揺しているのが、はっきりと感じられる。


メッセージの主は、響子だった。

...22

坂本は自分の部屋で、来週から始まるワールドツアーのための荷造りをしながら、ある男の事を考えていた。

小田の事だった。

20年前のあの日から、ずっと探していた。再会する事ができ、定期的に会う関係になれた事は嬉しかった。
ゲームから離れていた小田の視点や話を聞くのが好きだった。
ゲーマー界隈で飲みの誘いはいくらでもあるが、最近は断る事が多くなっていた。今は、飲みの席でまでゲームの話はしたくなかった。

ゲームで食べて行けるようになり、しばらくは最高の気分だった。だが、続けているうちに何だかわからなくなってきている。試合は次々とやってくるので、あまり考える余裕はなかった。

最近、ゲームが強いから何なのだろう?などと思う事もあった。自分が夢見ていたような、なりたかった存在になれたというのに。

これをこの先もずっと続けられるだろうか。

そういう事をよく考えていた。
ゲームは変わらず好きではある。
だが、この業界の先がどうなるのかは全くわからないのだ。相変わらず不透明な状況に、押し潰されるような気持ちになる時があった。

荷造りの手を止め、缶コーヒーの蓋を開ける。

自分はなぜ小田に惹かれるのだろう。
小田はいま普通の勤め人だったが、抗いがたい魅力を感じる。物腰は柔らかくなっていたが、初めて逢った時と何ら変わっていない、という風に見えた。


あの時に、助けてもらった。
自分が逆の立場だったら、あれが出来ただろうか。
ゲームでいくら勝とうが、自分はこれからも小田に対して勝った気にはなれない気がする。

今は格闘ゲームもスポーツとして認識されつつある。しかし、自分がやりたかったのはスポーツだったのだろうか。何か違う気がずっとしていた。
たまに、それが酷くつまらない事のようにさえ思えた。


帰国したら、また小田に話を聞いてもらおう。そう思い、荷造りを再開した。

...21

坂本との対戦以来、私は更に格闘ゲームに打ち込むようになった。妻も呆れているが、仕事に影響がなければ気が済むまでやらせてやろう、という構えのようだ。私の熱しやすく冷めやすい性格も知り尽くしているから、すぐ元に戻るとも思っているのだろう。

私は、このような自分を受け入れてくれた妻との生活を一番大事にしたいと思い、今まで自分の欲求は抑える事もあった。
そんな私が、初めて欲求を抑えられなくなった、という感じだった。だが、もう15年以上連れ添っている。たまには、と思ってくれているのかも知れない。

今はオンラインで対戦が出来るというのも、頻繁にゲーセンに行く時間がない私には有り難かった。さすがに、毎晩ゲーセンに行っていたのでは妻も怒るだろう。
気が付けば、オンラインの対戦数は数千試合となっていた。再開から半年が経過していた。


しばらくして坂本とまた会う機会があり、いつもの居酒屋で対戦談義になった。まさか今になってこんな話をするとは、少し前には考えられなかった事だ。

「小田さん。格闘ゲームで勝つ為に、何がいちばん重要だと思いますか」
「うーん。難しいね。反応速度とか、キャラの知識なんじゃないか」

坂本は自分の頭を指差し、
「ここ、ですよ」
と断言した。

「頭って事かい?確かに重要だろうが…」
「頭が良い、とかじゃないんです。何というか…考える力、だと俺は思う」

私には今ひとつピンと来なかったが、頷いて続けるよう促した。

「勝ちたい相手がいるならば、普通なら弱点を探ってそこを突こうとか、考えますよね。それはそれで、有効でしょう。でも俺は、相手ではなく、自分を俯瞰で見る事が重要だと思います。
課題や想定されるケースを明確化して、それに対して自分に何が必要なのか。それを間違えなく考えられる力が大事だと思っているんです。言うならば、思考力です」
「…」

「相手の弱点を見付けたとして、次に対戦した時にはもう克服しているかも知れない。その時は勝てたとしても、次は間違いなく克服してきます。だからそんなのは、一度しか使えないんですよ。それに時間を遣うのは、勿体無い。
思考力というのは、色んな相手や状況を想定した上で、自分が更に上を行くにはどうすれば良いのか、そこまで考える力です。経験や想像力も当然必要になりますが」

私は頷いた。というか、頷くしかない。相手は世界を征した男なのだ。最近知って驚いたのだが、自伝のような本まで出していた。
だが、それを自分が出来るかどうかはまた別の話だろう。彼だからこそ言える事とも思う。

自分が昔に格闘ゲームをやっていた時に何を考えていたか。
今思うと、あまりそういう事を考えてはいなかったと思う。この技にはこう、とか、場当たり的な対応を用意し、自分の好きなように攻めていただけだ。
だから、周りにはそこそこ勝ててはいても、それ以上には行けなかったのだろう。
一度だけ全国大会に出たが、予想外の行動に対応できず、すぐに負けたのを思い出した。

「言っている事は漠然とは理解できるよ。でも、私はまだそこまで考えられるレベルには達していない感じだね」
「それは仕方ないです。でも、常にそういう意識を持つのが大事です。その為の過程は当然発生しますが」

なぜ坂本は私にこんな話をしてくれるのだろうと思い、私はそれを訊いてみた。

「小田さん、俺と再会して格闘ゲームに戻ってきてくれたじゃないですか。だから、何となくですよ。だって小田さんは今、俺の友達ですよね。あれ、もしかして、俺がそう思っているだけですか?」
坂本はそう言って、照れたように笑った。私は、その笑顔に引き込まれるような感覚を覚えた。

「…ありがとう。友達、だと思っているよ、俺も。言われた事、忘れないようにするよ」

私は、つい自分の事を俺と言ってしまっていた。育ちの悪さからか、言葉遣いが荒い事を気にしていて、余程親しい人間以外には言わないようにしていたのだが、自然と出てしまったのだ。

坂本は少し笑いながら言った。
「そうそう。自分の事を俺って言うのが、小田さんですよ。俺の中の小田さんは、敬語なんか使わないし、何か近寄りがたい。でも、少しだけ優しいんですよ」
「じゃあ言わせてもらうけど、お前、勝手に俺のイメージを作るんじゃねえよ」
そう言って、私達はお互いに大笑いした。


坂本と別れた後、私はいつものバーで飲み直していた。いつしかマスターとも顔見知りになっている。いつものですかと言われ、頷いた。このバーは特筆するような事は何も無いのだが、なぜか気に入っていた。マスターとも時々少し話をしたりする。

流れている80年代のヒット曲を聴きながら、私は琥珀色のグラスを傾けて考えていた。
今の気持ちを整理したかった。

煙草に火を点けた時、ある考えが自分の胸の奥に灯っているのを感じた。


彼と、闘ってみたい。


同じレベルで、同じ目線でだ。
そして、彼に認められたい。

プロになりたいとか、有名になりたいとは毛程も思っていない。ただ、彼と闘いたい。

それは、久しく感じる事のなかった、強烈な欲求だった。
例えるなら、好きになった女を抱き締めて、セックスをしたい。そして、自分のものにしたい。そのくらいの欲求だ。

不思議と、たかがゲームだとか、そういう事は一切思わなかった。手段の問題ではない。

そうすれば、自分の中で澱のようにたゆたっている何かが無くなるかもしれない。
そして、自分の中で何かが変わるかも知れない。
いや、変わる。

何故か、私はそう思った。
根拠はない。
だが、ほとんど確信のようなものが、私にはあった。

...20

最初の試合は、私が勝った。

私の現状がどんなものか、様子を見てウォームアップをしていただけだと、はっきりと感じた。フルラウンド闘わせてもらった、という感じだ。

私が格闘ゲームを再開して3ヶ月になっていたが、20年のブランクがある。
そんな男が、今、世界でも上位とされるプレイヤーと対戦しようというのだ。
本気を出されたら、相手になるわけがない。

2試合目に入ろうとした時、背後に人の気配を感じた。対戦台の周りに人が集まってきたようだ。おそらく、ほとんど全員が坂本を知っているのだろう。何やらざわついた雰囲気になってきた。

こういう感覚も久し振りだった。ゲーセンでのプレイは、常に人目に晒される。そして、私はそれが嫌いではなかった。
もっとも、この状況でのそれは、私にとって少し酷な気はしたが。

2試合目が始まる前、私はゆっくりと深呼吸をした。昔から、こうすると少しだけ落ち着く。だが、手の震えは止まってはいない。

そして私は、何もできずに倒された。
それでも、本気とは思えない。というより、本気を出すまでもない、という感じだった。

私は少しこめかみの辺りが熱くなるのを感じた。これも、久し振りの感覚だった。頭に血が上ると、こうなる。


そのまま、5試合を連取された。私はほとんど坂本の体力を減らすことが出来なかった。頭はすでに冷めている。これが当然だ。勝てるわけはないのだ。

すると、坂本がこちらに近付いて来て言った。
「小田さん。ここからはあまり攻めません。崩してみて下さい」
「わかった」
私は苦笑しながら答えた。


3ヶ月の練習で、コンボなどは決められるようになっていた。あとは、それをどうやって相手に当てるかだった。
そういう所の勘や駆け引きみたいなものには昔から自信はあった。とは言え、やはり実力差がありすぎる。

家でやるオンラインの対戦では、勝ったり負けたりという感じを繰り返し、ランクは少しずつ上がっていた。しかし、今のランクになってから相手に対応されるようになり、そこから上がれていない。


そして7試合目が始まった。
沢山いたギャラリーは、実力差に興醒めしたのか、かなり減っていた。
しかし私はそんなことは気にならなかった。他人など、どうでもいい。ただ、モニターのキャラクター越しに存在する坂本を見つめていた。

この試合は、私がある程度動けるように坂本が配慮してくれていた。私が攻めるが、下がってスカしたり、ガードしたりしてあまり大きい攻撃は当たらない。大きい攻撃がガードされた時は、必ず最大の反撃が反ってきた。

最終的には、20試合して私の1勝19敗で終わった。坂本は200円だが、私は2000円も遣ってしまった事になる。気付けば1時間以上が経過していたが、私には半分ほどの時間に感じられた。

私は坂本と喫煙室に行き、煙草に火を点けた。坂本には缶コーヒーを渡す。
「吸わないのに、すまないね。お詫びって訳でもないが。安過ぎるかな」
坂本は煙草の煙を気にした風もなく、微笑を浮かべて缶コーヒーを受け取った。それを見て、なぜか私は少し動揺した。

「懐かしいですね。あの時も缶コーヒーを奢ってもらいましたよね」
「そうだったかな。よく覚えているな」
私は感心しながら、肩を竦めてお手上げのポーズを取った。
「当たり前だけど、次元が違ったね」
「…」

坂本は少し真面目な顔で言う。
「小田さん。本当に再開して3ヶ月ですか」
「え?ああ、そうだよ」
「小田さん、もう中級者くらいの実力はありますよ。もっとやっている人で、今の小田さんより弱い人は沢山います。何千人とね。小田さんは、その人達を3ヶ月で抜いたという事なんですよ」
「…」

私はどう反応していいかわからず、黙っていた。

「基本は変わらないと言いましたが、とは言え、今は別のゲームと言っていいくらい複雑になったし、やっぱり変わっているんです。小田さん、もっと頑張って練習したら俺もわからないですよ」
「おいおい、おだてないでくれよ。その気になっちまう」
「正直に言ったまでですよ。小田さん、続けた方が良いですよ。でも、ゲームはほとんどやっていなかったのに、どういう心境の変化だったんですか?」

私は躊躇いがちに答えた。
「…実はね、自分にもよくわからないんだ。君と再会した事がきっかけになったのは間違いないと思う。まあ、最近は生活も落ち着いていて、何もやることがなかった、というのもあるのかも知れないね」

「…そうですか。でも小田さんがゲームやってくれると俺も嬉しいですよ。またやりましょうよ」
「ああ。今日はもう遅いから、また連絡するよ」
「はい。それじゃあまた」


そうして、その日は解散となった。
帰りの電車で、今日の対戦を思い出しながらひたすら反芻していたら、あっという間に地元の駅に着いてしまった。

私は、久し振りの対戦による高揚感からか、その日はあまりよく眠れなかった。

...19

坂本との再会の後、私は何となく最新のゲーム機を買ってしまっていた。

昔、すべてに優先するほどのめり込んでいた格闘ゲーム。その最新作はいまだに発売されていたのだ。先日観に行った大会でもそれが使用されている。

当然、当時のゲームセンターと同様のインタフェース、つまりジョイスティックも必要となる。昔売っていたものと比べ質は高いが、値段にも驚いた。
とは言え、他に金がかかる趣味も持っていない。

妻はそんな私を見て言った。
「どうしちゃったの」
「いや、何となく昔を思い出してしまって」
「ふーん。まあ、いいんじゃない?最近あなた、何かつまらなそうだったから。趣味はあった方がいいよ、絶対」
「ああ」

責められるかと思っていたが、意外にもにこやかにそう言ってくれた。
妻は絵を描いたり、写真を撮ったりするのが好きで、趣味として楽しんでいた。私はそれに口を出したことはないから、受け入れてくれたのだろう。

そのゲームを購入した私は驚いた。
グラフィックが進化しているのは当然だが、技も当時とは比べ物にならない多さになっている。
ただ、プレイの手触りというか、感触のようなものはそれほど変わってはいなかった。

私が当時に使っていたキャラクターも残っている。そのキャラクターをしばらく動かし、休日になると、私は時間を忘れてそのゲームをプレイした。

当時は攻略本を買えば一通りの知識はわかったものだが、今はそんなものはなかった。代わりに、インターネットにいくらでも情報が転がっている。
私は色々と検索を繰り返し、知識を学んでいった。

進化しているとは言っても、同じ格闘ゲームなのだ。本質は何も変わっていない。その事を確認し、私は安堵した。

一体、何に安堵したのだろう?とふと考えた。

今からプロゲーマーになどなれる訳がないし、そのつもりもない。
私は何をしたいのだろう。
趣味として楽しむ?そういう感覚もなかった。

考えてもその答えは、はっきりとは見えてこなかった。
坂本との再会がきっかけになったのは間違いないとは思う。


その坂本とは、一度飲んだ後、次があるとは思っていなかった。だが、その感触とは裏腹に、お互い何とは無しに連絡を取り合い、たまに会うようになっていた。ウマが合う、というやつなのだろう。
ただ、私は距離感には気を遣った。彼と私は、違う世界を生きているのだ。

ある日いつもの居酒屋で、私はまた格闘ゲームを始めた事を坂本に伝えた。
「え?本当に?」
坂本はどこか嬉しそうに言った。
「ああ。なんだかよくわからない事も多いけどね。やっと、思い通りにキャラが動くようになってきたかもしれない。ネット対戦というのも、初めてやってみたよ。凄いね、今は」

坂本は少し笑顔を浮かべて言った。
「基本は変わっていませんから、小田さんならすぐに強くなりますよ。何かあれば聞いて下さいよ」
「いやいや。プロの手を煩わせるような事はしたくないな」
私は苦笑して言った。

「良かったら、この後ゲーセンで少しやりませんか」
坂本にそう言われると、私は躊躇した。
「いや、レベルが違いすぎるよ」
「合わせますよ」
坂本がそう言った時、私は心にざわつく何かを感じた。

「それじゃ、少しだけ行こうか」
相手になるとは思わなかったが、私はやってみたい、と思う気持ちを抑えられなかった。


飲み屋からしばらく歩き、私達は大通り沿いのゲーセンに入った。市村さんとの待ち合わせに使った所だ。週末の夜でそれなりに人はいたが、満杯という程でもない。
今は家でも対戦ができるからか、昔のような熱狂は感じない場所になっていた。

向かい合わせの対戦台に座り、コインを投入する。カードのタッチを求められたが、持っていないのでスキップして進めた。
対戦前の画面になると、坂本のランクが表示される。いかにも強そうな感じだが、当然だろう。

私は胸の鼓動と、手の震えを自覚した。人と向き合っての対戦。それは20年ぶりの事だった。